地下聖堂から本殿へ
多くの訪問者たちの列に並び、グロッタから大聖堂の本殿へと続く細い階段を、一段ずつゆっくりと上っていく。
そこは歴代教皇たちが眠る地下聖堂らしく、華美な装飾は何ひとつない。
薄暗い石造りの空間。
灰色の壁。
長い年月を静かに見守ってきた階段だけが、訪れる人々を地上へと導いていた。
一歩、また一歩。
静寂の中を歩き続け、ようやく最後の一段を上りきった。
その瞬間だった。

「……うわぁ。」
思わず息をのんだ。
目の前に広がっていたのは、私が思い描いていた「教会」という言葉では到底表現しきれない世界だった。
黄金に輝く祭壇。
どこまでも高く伸びる天井。
光を受けて柔らかく輝く大理石。
深紅の布が静かに揺れ、空間全体がまるで一つの芸術作品のようだった。
その壮大な景色を見渡す間もなく、奥の方から聖歌が聴こえてきた。
静かで、澄んでいて、それでいて胸の奥へまっすぐ届く歌声。
パイプオルガンの重厚な音色は、
空間そのものを震わせながら、ゆっくりと私を包み込んでいく。
その響きは、まるで天界へと続く階段を一段ずつ上っていくようだった。
鍵盤が奏でられるたびに、その階段が少しずつ形を成し、人の祈りを天へと運んでいく。
そして、その道をたどるように天使たちが静かに舞い降りてくる――。
そんな情景が、自然と心の中に浮かんだ。
ピアノも、ヴァイオリンも、チェロも、フルートも。
この世には心を震わせる楽器が数多く存在する。
オーケストラやクラシックコンサートが好きな私にとって、それぞれの音色には何度も感動をもらってきた。
けれど、このとき耳にしたパイプオルガンの響きは、それらとはまったく違っていた。
音楽を聴いているというより、祈りそのものに包まれているようだった。
この楽器は、人の祈りや命をそっと祝福し、天へ届けるために存在しているのではないか。
そんなことを、私は思った。
その瞬間、私は涙を流していた。
いや、涙が勝手に溢れてきた。
悲しいわけではない。
嬉しいわけでもない。
ただ、心の奥深くにある何かが、その歌声と音色に触れた瞬間、静かに反応したのだ。
理由は分からない。
それでも、これほど自然に涙が流れたことは、これまでの人生でほとんどなかった。
これが「感動」というものなのだろうか。
そう思った。
この瞬間を、私は通り過ぎたくなかった。
階段を上ってすぐ脇の壁にもたれ、しばらく動かなかった。
ただ静かに耳を澄ませ、聖歌に身を委ねる。
地下聖堂の静寂とは対照的な、光に満ちた空間。
それなのに、不思議とどちらにも同じ祈りが流れているように感じた。
その涙の意味を、私はまだ知らなかった。
聖ペテロのブロンズ像
その光景を眺めているうちに、私の心には一つの感情が静かに広がっていった。
人が生きるということは、なんて尊いのだろう。
何百年、何千年という時を越え、誰かが祈り、誰かが築き、誰かが守り続けてきたからこそ、
今、私はここに立っている。
私という一人の人間も、その長い歴史の延長線上に生きている。
そう思った瞬間、先ほど耳にした聖歌が再び心の中で響いた。
あの歌声は、ただ美しかったから涙が出たのではなかったのかもしれない。
まるで、この場所が私という存在を静かに迎え入れ、
「よくここまで来ましたね。」
そう優しく語りかけてくれているような、不思議な感覚があった。
もちろん、それが何だったのかは今でも分からない。
旅の高揚感だったのかもしれない。
ただ一つ言えるのは、あの日あの場所で感じたものは、私にとって紛れもなく本物だったということだ。
ゆっくりと本殿を巡っていると、一体のブロンズ像の前で自然と足が止まった。

初代教皇・聖ペテロ。
イエス・キリストの十二使徒の一人であり、「天国の鍵」を託された人物として知られている。
その鍵を手にした姿が、目の前の像だった。
私はキリスト教徒ではない。
だから、彼の生涯や教えを深く知っていたわけではない。
それでも、その手に握られた鍵だけは、どうしても気になった。
「天国への鍵か……。」
ふと、そんな言葉が口をついて出た。
もし人生の終わりに、本当に聖ペテロが現れ、
天国へ行けるかどうかを問いかけるのだとしたら。
彼は私に、どんな質問をするのだろう。
人に優しく生きましたか。
誰かを傷つけたことはありませんか。
後悔のない人生でしたか。
そんな問いを投げかけられるのだろうか。
……いや、案外違うのかもしれない。

聖ペテロ
イタリアのご飯は美味しかった?

聖ペテロ
地球で一番好きな景色は見つかった?

聖ペテロ
最近、何に心を動かされた?
そんな、人間らしい話をしてくれるのかもしれない。
そうだとしたら、私は聖ペテロと案外気が合う気がする。
一人でそんなことを考え、思わず小さく笑ってしまった。
けれど、その笑顔はすぐに静かな思索へと変わる。
もしかすると、私はずっと昔にも、この場所を訪れたことがあったのではないだろうか。
それが前世だったのかどうかは分からない。
確かめる術もない。
けれど、この場所で覚えた懐かしさだけは、どんな知識や理屈よりも確かなものとして胸に残っていた。
私はその答えを急がないことにした。
この旅は、答えを見つけるためではなく、問いとともに歩いていく旅なのだから。
クーポラへ
本殿をゆっくり巡ったあと、私は最後の目的地であるクーポラへ向かった。
外から見上げていた、あの大きなドームの頂上だ。
当時の私は知らなかった。
この壮大なクーポラが、ルネサンスを代表する芸術家ミケランジェロによって設計された建築であることを。
ただ一つ思っていたのは、
「あの頂上からローマの街を見てみたい。」
それだけだった。
エレベーターもあった。
けれど私にとって選択肢は最初から一つしかない。
階段で登る。
旅では、できるだけ自分の足で歩く。
自分の足跡を残したいからだ。
クーポラの頂上までは551段。
その数字を見た瞬間、頭に浮かんだのは建築でも歴史でもない。
……551の豚まんだった。
大阪にゆかりのある人間は、こういうところで顔を出す。
朝から歩き続けた足は、すでに悲鳴を上げていた。
「イタリアまで来て修行か。」
そう思わず苦笑する。
それでも、自分で選んだ道だ。
昨日の自分より、今日の自分。
そんな少し暑苦しい精神論を胸に、一段ずつ階段を上り始めた。
登れば登るほど、その選択は正しかったと思えた。
外から見れば、美しいドームだ。
けれど、その内側には、人間の知恵と執念が詰まっていた。
細く入り組んだ通路。
大人一人がようやく通れるほどの幅。
途中から壁は大きく傾き、体を斜めにしなければ前へ進めない。

普段使わない筋肉が悲鳴を上げる。
横腹まで痛くなってきた。
途中、多くの観光客が壁にもたれ、息を整えていた。
汗をぬぐいながら座り込む人。
肩で息をする人。
その姿を見ていると、この階段が決して楽な道ではないことが伝わってくる。
それでも私は、不思議と楽しかった。
約500年前。
機械もコンピューターもない時代に、
人はどうやってこの巨大な建築を造り上げたのだろう。
そう考えながら登っていると、「美しい建築」という感想は、
いつしか
「人間ってすごい。」
という素直な感嘆へ変わっていた。
そして、ようやく最後の一段を上り切る。
目の前には、どこまでも続く青空が広がっていた。

その下には、歴史あるローマの街並み。
東京のような高層ビルはほとんど見当たらない。
時間だけがゆっくり流れているような景色だった。
私はしばらく何も話さず、その景色を眺めていた。
何百年も前にも、この場所から同じ景色を見つめた人がいたのだろうか。
同じ風を感じ、
同じ空を見上げ、
同じように、この街の未来を思った人がいたのだろうか。
その答えは分からない。
けれど、その景色だけは、静かに私の記憶へ刻まれていった。