偶然というには出来すぎている
午後になった。
予約していた時間に合わせ、私は再びバチカンのサン・ピエトロ大聖堂へ向かった。
世界有数の観光地であり、世界遺産でもあるこの場所は、事前予約がなければ入場が難しいと聞いていた。
結果から言えば、その判断は正しかった。
広場には観光客が溢れ、ツアーガイドに導かれた団体客が次々と歩いていく。

サン・ピエトロ大聖堂へ続く入口は1箇所だけ。
ゲートへ近づくと、目の前には長蛇の列ができていた。
「予約しておいてよかった…!」
思わず胸をなで下ろす。
侮るべからず、バチカン市国である。
手荷物検査を終え、ゲートをくぐる。
そこには、広場いっぱいに整然と並べられた無数の椅子があった。

何かイベントでもあるのだろうか。
気になった私は、ツアー受付近くに立っていた黒いスーツ姿の紳士へ声をかけた。
「この椅子は何かイベントがあるんですか?」
彼は穏やかな笑顔で答えた。
紳士
ジュビレオだよ。
ジュビレオ?
聞いたことがあるような、ないような言葉だった。
紳士
今年はホーリー・ドアが開かれる年なんだ。世界中の信者が巡礼に来ているよ。
なるほど。
そう返事はしたものの、実はよく分かっていなかった。
ここはローマ教皇が暮らす世界中のカトリック信者にとって特別な場所だ。
そんな場所で「ジュビレオって何ですか?」と無邪気に聞くことは、どこか気が引けた。
私はその場ではそれ以上質問をしなかった。
代わりに、もうひとつ気になっていたことを尋ねた。
「それじゃあ、この椅子は?」
紳士
ああ、数日後に新しい教皇レオ14世の就任ミサがあるんだ。世界中から巡礼者や各国の要人が集まるよ。だから警備もいつも以上に厳しい。
そう言われて辺りを見渡す。
確かに、広場には普段以上と思われる数の警察官が配置されていた。

観光地を警備しているというより、一つの国家を守っている。
そんな緊張感が漂っていた。
「そうなのね!Grazie!」
付け焼き刃で覚えたイタリア語で感謝を伝える。
旅先では、その国の言葉を一言でも話すようにしている。
流暢である必要はない。
「ありがとう。」
「こんにちは。」
それだけでも十分だと思っている。
言葉は上手さよりも、
「あなたの文化を大切に思っています」
という姿勢を伝えるものだからだ。
不思議なことに、多くの人がその一言だけで笑顔になってくれる。
私は、昔からその瞬間が好きだった。
列に並んでいる間、先ほど耳にした「ジュビレオ」という言葉が気になり、スマートフォンで調べてみた。
そこで初めて知る。
今年は25年に一度だけ訪れる聖年(ジュビリー)の年だった。
普段は閉ざされている「聖なる扉」が開かれ、世界中の信者たちがローマへ巡礼に訪れる特別な一年。
なんと。
私はそんな特別な年だとは何も知らず、この旅を決めていた。
しかも数日後には、新教皇レオ14世の就任ミサが執り行われるという。
世界の歴史が静かに動く、その瞬間。
私は偶然、その真ん中に立っていた。
振り返れば、バチカンへ向かう途中ですれ違った巡礼者たちの姿にも納得がいった。
皆、おそろいのTシャツを身にまとい、歌い、跳びはね、肩を組みながら歩いていた。
最初は「ずいぶん陽気な団体だな」と思っていた。
けれど違った。
彼らは聖なる扉をくぐるため、世界各地から集まった巡礼者たちだったのだ。
点と点が線につながる。
あの瞬間の心地よさを、私は今でも覚えている。
祈るということ
やがて順番が来た。
サン・ピエトロ大聖堂の見学は、地下聖堂(グロッタ)から始まる。
そこには初代ローマ教皇・聖ペテロをはじめ、歴代教皇たちが静かに眠っていた。

薄暗い空間の中で、多くの人が立ち止まり、祈りを捧げている。
膝をつき、両手を組み、目を閉じる。
私はキリスト教徒ではない。
けれど、その姿から目を離すことができなかった。
信じるということは、人を強くする。
そして、その強さは時に人を傷つけることもある。
歴史は、その両方を繰り返してきた。
それでも私は思う。
祈る人の姿は、美しい。
その静かな空気に包まれながら、私はゆっくりと地下聖堂をあとにした。
そして、この旅で決して忘れることのできない出来事が、この先で私を待っていた。